2015年07月21日

【四十九日法要】2015.7.21

えーっと、久しぶりのブログ更新で、タイトルが重くてすみません。
そして今までで一番長いエントリーになることを言っておきます。




去る 6月3日 午前10時50分 母ユリコがこの世を去りました。

まだ68歳でした。

昨年(2014年)の8月頃から体調を崩し、いろんな検査をしても原因がわからず。

毎年行っている健康診断も数値は問題なし。乳がんと子宮がん検査も問題なし。

しかし、病は身体を蝕んでいたようです。

10月頃、かかりつけの病院でリンパに異常があることがわかりました。

担当医は他の大きな病院で検査をするように勧めてくれ、紹介状を持って検査をしてみました。

結果はリンパへの癌の疑い有り。

今はそのまま本人へ告知するようで、母も告知を受けました。

ただ、そのリンパへ転移した癌の元を探す事をしました。

ペット検査というもの(僕は調べていませんが癌の元を調べられるそうです)を行い

癌が発生している箇所がわかりました。

1.胆嚢
2.肝臓

この2カ所に確実に癌細胞があることが判明したのです。


ここからどちらが癌の根源であるか詳しく調べると・・・・・・・・

元は胆嚢 すなわち 「胆管癌」でした。

年齢的なものもあり、胆管閉塞を防止するために胆管へステンドを入れる腹腔鏡手術を受けることとなりました。

手術は無事に終わり、体調も少しだけ回復してきました。

突然母の体力が奪われてきてしまったのは今年の4月頃。

トイレに行くのも途中休憩をとるようになりました。

たった10Mも一気に歩けなくなってしまったわけです。

毎日横になっている生活が続き肝臓を下向きにした横向きに寝ることしか出来なくなりました。

入浴も父の助けを受けないと入ることも出来なくなりました。

身体もかなり細くなってしまい・・・・・・・・まるで矢吹丈と闘う為に減量後した力石徹のようでした。


実家は農家を営んでおり、生産日本一のピーマンをつくっております。

母が体調不良になってからは、いったん作のをお休みして5月から再生産を行っておりました。

母は気を遣い「家にいたらピーマンを作るのに支障が出るだろうから入院することにするよ・・・・・」

と決めて5月25日月曜日に入院することとなりました。



入院手続きをして、担当医師からの詳細告知というか、病状説明は

余命3ヶ月の最終告知でした。

父が付き添いで行ったので、実際に告知を受けた父が帰宅して残念そうに僕に伝えてくれました。


僕は仕事が忙しくなる時期で土日祭日もスケジュールはほぼ前日にならないと休めるか休めないかわからない状態になるので、

入院初回の土日は病院へお見舞いにいく事は出来ませんでした。

忙しい時期で休みの予定が取れなかったのですが、6月6日に休める見通しが出来、お見舞いに行く予定を立てておりました。



その矢先

6月3日火曜日 7時20分 仕事の段取りをしている最中に携帯が鳴りました。


父からの着信。


「おぃ・・・・かぁちゃん心臓とまっちゃったよ・・・・・今から病院へ行くからおまえは来れるか?」

「代わりの人を設定していないからすぐには帰れない・・・・・とりあえず所長に連絡して帰れるか確認するわ」


急いだところで代理はいないことはわかってました。(芸能人の方もこうやって親の死に目や大切な人の大切な時間には行けないんだろうなぁ〜って)


何とか代理の方に引継ぎをして現場を任せて事務所を飛び出たのは既に2時間が経過してました。

仕事場から病院までは約1時間。でも我武者羅に空いている道路を頭の中で考えながら選んで走って行きました。

10時15分AM  病室へ到着。

既に母の呼吸は2回/分という無呼吸症候群のような呼吸でかろうじて息を吹き返していました。

しかし、時既に遅く意識は全くありませんでした。

機械で生かされていたのです。


病室を見渡すと、父、姉、叔父、母の親友が居ましたが もうどうすることも出来ません。

唯一出来たのは、手を握って声をかけてあげるぐらい。

もう、なんて声をかけたのか・・・・・・忘れてしまいました。


多分、「親より先に死ぬことは親不孝だぞ!」って言った気がします。

そう、母の両親はまだ健在なのです。

母の弟は二人居たのですが、下の弟は2年前に他界してしまいました。

今は母の下の弟=長男の家で生活しているのですが、お爺さんは施設で生活してます。


そして僕の5分後に伯母が到着しました。

既に呼吸は1回/分に落ちてしまっており、脈拍も60程度。デジタル式の表示は徐々に数字を減らして行きました。



呼吸0回/分・・・・・・・

脈拍60・・・・・・・40・・・・・・20・・・・・・・・・0

叔父(弟)が絶句するように「あねぇ〜 が逝っちゃった・・・・・・」

僕が到着してからたったの20分。10時35分AM  

デジタル式の表示は0を指してしまいました。

なぜか涙は出てきませんでした。

あまりにもあっけなく、そして急だったからかもしれません。

病室で泣いているのは誰も居ませんでした。


担当医が来てくれたのはそれから20分後。

いつもTVで見るようなチェックを淡々と行っていくのです。

心拍の確認、呼吸の有無、瞳孔の確認。


もちろん全て反応はありません。

「10時50分 ご臨終です」

「癌で亡くなったのでは無く、おそらく寝ていた時に出来た血栓がトイレに行ったときに力んだりして脳幹に詰まったかもしれません」

そんな説明でした。


今は遺族から訴えられる事もあるので、担当医は「もし、必要であれば解剖をして死因を突き止めることが出来ますが?」

と確認するようです。


もちろん答えは「ノー」でした。

もし、「解剖して原因を取り除いたら生き返るのであればして下さい」 と父、姉、僕と同じ事を言いました。

遺族の気持ちって、同じになるものなんですね。


母はこうなることを予想していたようで、遺影、死んだときに寝る布団、着物等を全部用意していたのです。

典型的なA型と言ってしまえばそれまでですが、最後まで自分の色を出して居た人でした。

遺影は昨年の誕生日の前日、2014年10月4日に 僕が撮影したものです。


遺影のオリジナルデーターが葬儀会社から返却されたときに、「今まで扱った写真の中で一番良く撮れてます」と

お言葉を頂きました。

さすがに遺影のオリジナルデーターは頂けませんでしたので、iPhoneから撮影した写真ですが。

IMG_2560.JPG


趣味で写真をやっていて良かったとこれほど思ったことはありませんでした。

人生で本当に一度きりな葬儀も母の大好きな花を沢山あしらった祭壇を選らんで、花の色も変更してもらいました。

saijyo-1.jpg


棺の中には大好きだった羽生結弦くんの写真集も入れてあげられたし、骨壺にも一緒に燃え残った紙を入れることも出来ました。

ただ、一つだけ後悔するのであれば内孫を抱かせてあげることが出来なかった事。

これは申し訳無かったと思ってますが、外孫として2人の孫が居たことは救いです。


そして沢山の方に弔電や香典を頂き感謝しております。

また、今日まで皆さんには公表しなかった事を謝ります。

jitaku-1.jpg


今日で49日法要も無事に完了して母も無事に仏となることが出来たようです。

少しだけ自粛してきましたが、今日からは今まで通りいつもの僕に戻って明るく過ごしたいと思います。

皆さんこれからも温かく僕を見て下さい。



最後になりますが

このエントリーを読んで頂いた方。特に女性の方にお願いです。

男性よりも癌にかかりやすいリスクを持っていらっしゃいます。

乳がん、子宮癌の検査は必ず1年に1度受診して下さい。

母の様に乳がんでもなく、子宮癌でもなく別の癌に冒されてこの世を去る人も多いのですが、先ずは一つずつリスクを減らして

大好きな方やパートナーの方とずっと幸せに過ごして欲しいと切に願います。


2015年7月21日

posted by すーさん at 15:01| 茨城 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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